ファミコン世代
ゲームのトリビア
- ここは過去のファミコンソフトを振り返り、独断と偏見を交えて紹介するコーナーだ。
ユーザーフレンドリーという言葉をみじんも感じないゲームシステムに親しみさえ感じてしまうのは筆者だけではないだろう。 - 魔界村(1985年)
- 何度も誘拐されてはアーサーに助けてもらう、学習能力のないプリンセスの物語。
ゲームセンターで大ヒットし、カプコンはその収入で自社ビルを建てたとまで噂されている。 - その後ファミコンに移植され、魔界という異質なキャラと世界観が人気を呼んだ。
1周目のエンディングは幻として処理されるため、さらに難しい2周目をクリアしなければ、真のエンディングにたどりつくことはできない。
その難しさといったら、最初の1ステージで挫折するほどだ。 - 中でもアーサーを苦しめたのは、その嫌らしさで外伝の主人公にもなった赤い悪魔、レッドアリーマーだろう。
あざ笑うかのように空中を移動し、こちらの攻撃を紙一重で避ける様は、蚊を叩き損ねたときの気分と似ている。
まさに最強のザコ敵といっても過言ではない。 - ドラゴンクエスト(1986年)
- 勇者ロトの伝説シリーズ1作目にして、2番目のストーリー。
詳しくはドラゴンクエストⅢの100年後、ドラゴンクエストⅡの100年前である。
80年代半ば、RPGというジャンルはパソコン業界で好評を得ていたが、激ムズな仕様に加え、パソコンというメディアのため、一般には流行っていなかった。
その難易度を誰にでもクリアできるようにし、家庭用ゲーム機初の冒険する楽しさを広いユーザー層に教えてくれたのが、このドラゴンクエストだ。 - 序盤でラダトームの姫を救出するよう王様に命令された勇者。
激戦の末、ドラゴンから姫を救出し、城下町の宿屋に泊まった翌朝のこと。
「おはようございます。ゆうべはおたのしみでしたね。ではまたどうぞ」
セクハラで訴えられかねないこのセリフは、80年代を象徴しているかのようだ。
ちなみに週刊少年ジャンプのゲームコーナー「ファミコン神拳110番」のスタッフでもあった、ゆう帝(堀井雄二)、みや王、キム皇がアレフガルドの各町に登場している。 - スペランカー(1986年)
- ゲーム史に残る、最弱の主人公として名高い。
超シビアな操作性が求められ、頭ではなく体で覚えないと絶対にクリアできない。
地下に埋もれる財宝を捜しだすゲームなのだが、こうもりの糞を浴びるだけで死んだり、ひざの高さから落ちて死んだり、小石につまづいて死んだり、とにかく弱い。 - 何十、いや何百回死んだことか。
ウンザリしつつもやめられない魅力がこのゲームにはあった。
そしてこれはどうでもいいのだが、電源を入れるとカートリッジの豆電球が点灯する。
なぜ豆電球が内臓されているのか、当時は考えもしなかったが‥。
この死にゲー、一度やってみてはいかがだろうか? - たけしの挑戦状(1986年)
- 筆者はこれほど人をバカにしたゲームに出会ったことはないし、この先もないだろう。
現実を舞台としながらも最初から何をしていいのかサッパリわからない。
ゆえに自由度は高く、今となっては懐かしい黒いゴミ袋など昭和の時代を感じさせる特徴が多く見られる。 - とはいえ、妻子もちの主人公が離婚&退職をしてまで宝探しをするという設定はいかがなものか。
地位・名誉・世間体そんなものはお構いなし。
筋金入りのロクデナシがうごめく混沌とした世界で、その理不尽さを目の当たりにするのだ。 - 話の内容もスジが通っておらず、「なんでこうなるの?」と目を覆いたくなるありさま。
一般市民を殴ってお金を入手するというシステムを平気でやってのける開発者の人間性をも疑ってしまう。
特に放置プレイ(なにもしないで1時間放っておく)や、2コンのマイクでカラオケを歌わないと先に進めないなどの仕掛けはお手上げだった。
この意味不明でヒントのない謎解きがユーザーを苦しめた。 - バッドエンドは数知れず、何度もやり直す。
そして死ぬたびに自分の葬式画面を見ることになる。 - もはや怒りを通り越し、苦労の末にやっとたどり着いたエンディング。
そこには「こんなゲームにまじになっちゃってどうするの」という一文が。
最後の最後まで人をバカにした演出は、表彰ものである。
このゲームをやることで、肉体的にも精神的にも打たれ強くなることは間違いない。
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