ファミコン世代
初めての家庭用ゲーム機
- ファミコンが登場したのは1983年(昭和58年)7月15日のことである。
それまで家庭用ゲーム機というものはなく、ゲームといえば任天堂のゲームウォッチとゲーセンが主流だった。 - ゲームウォッチは初の携帯型ゲーム機であるが、現在の携帯型ゲーム機とは意味合いが違う。1ハード1ソフトのため、飽きたら次の新作を買わなければならない。
しかし「時計」といって買ってもらった手前、2個以上入手するのは難しいものがある。 - 一方、不良のたまり場だったゲーセンは、異様な熱気もさることながら、僕らの財布をむしばんでいた。貴重な100円玉をたった数十分で消費し、気づいたときには帰りの電車賃すらなくなっていることもあった。このような不遇の時代にひと筋の光明をもたらしたのがファミコンである。
- ゲーセンのゲームが家で遊べて、しかもゲームを入れ替えられるという画期的なモノに、誰もが「ありえない」と自分の目と耳をうたがった。
そう、誰も予想していなかった。お茶の間のテレビにゲームが映し出されるという衝撃は、ゲーセンの呪縛から僕らを解放してくれたのだ。 - 「ファミリーコンピューター」という絶妙なネーミングにも頭がさがる。
当時「コンピューター」といったら最新技術を結集したハイテクマシンを思い浮かべ、一般の人が買える代物ではないと思っていた。つまりオモチャではないのだと。
「コンピューター」というネーミングが大人たちの財布のヒモを緩め、たかがゲームという先入観を取り払ったといえよう。 - しかも、本体のカセットを入れ替えることで、違ったゲームが好きなだけできるという機能をわかりやすく広め、カセットの購入意欲に拍車をかけたのであった。
- 最後に忘れてはならないのが、ファミマガという日本初のファミコン雑誌の存在だ。
ゲーム情報誌といえば今はファミ通かもしれないが、当時はファミマガだった。
マニアはもちろん、ゲームで遊ぶことの少ないライトユーザーにも需要があり受け入れられた。 - なぜならインターネットが普及していない時代では、攻略情報や新作情報を知る手段があまりに少なく、攻略においてファミマガの右にでるものはなかったからだ。
- また、裏技(ウルテク)コーナーでは、バグを利用したテクニックや隠しアイテム、高価なファミコンソフトをやり込むための情報が人気を集めた。
ゲーム画面を合成し、本物と見分けがつかないウソテク(ウソの裏技)なるものまで現れ、そうとは知らない僕らの貴重な時間を奪っていった。「あるといいながある」それがウソテクの正体だった。 - やがてハードの多様化(プレイステーション、セガサターンなど)で任天堂のハードが劣勢になるとファミマガは衰退し、総合ゲーム情報誌にいち早く対応したファミ通がシェアを奪う形となった。
- ファミマガの休刊が余儀なくされた背景には、徳間書店の経営危機とSONYのプレイステーションがスーパーファミコン、NINTENDO64のシェアを抜いたことによるものが大きい。
任天堂のハードを中心に扱っていたファミマガにとって、これは致命的であった。 - かくして様々なドラマを生んだ日本の家庭用ゲーム機は、波乱の時代を迎えることになる。
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